阿 部 京 子 略歴
1956 - 1962
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小学生の頃から音楽が好きでピアノを習う
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1962 - 1972
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国立音楽大学付属中学校、高校、そして大学作曲科(高田三郎師事)を卒業、併行して音楽分野を超えた関心からポピュラー作編曲講座 (林雅彦師事)、長唄(杵屋流)なども学ぶ
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1972 - 1976
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ウィーン国立音楽大学作曲科(エリッヒ・ウアバンナー師事) 卒業
電子音楽科(ディータ−・カウフマン師事) 卒業
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1980 - 1984
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ロ−マン・ハウベンシュトック ・ラマティに師事
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1980 -
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国際作曲家協会会員(ISCM 初め日本支部、後にウィーン支部)
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1983 -
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ウィーン大学音楽学学科での「自作品について」の講義やウェーベルン国際会議(ワルター・パス博士・教授の招待により)、国立音楽大学作曲科、ISCMの主催による講演会、などにおいて、オーストリアの現代音楽、作曲家等、いろいろなテ−マによる講演
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1988 -
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スイス人舞踏家ベティーナ・ニソーリ、オーストリア人画家ローマン・シャイドルらと "タマム" Tanz(ダンス), Malerei(絵画), Musik(音楽)の総合芸術のアンサンブルを設立し、音楽部門担当する
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2001 -
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南郷ジャズ・フェスティバルのプロデューサー鳴海廣氏よりの特別委嘱、ジャズ、クラッシク、
現代音楽、純日本音楽、民族音楽などのジャンルを超えた編成と作風で「活彩あおもり」を初演、
フェスティバルの観衆6000人近くを湧かす
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2003 -
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タマム・アンサンブル名誉会員、
タマム・アンサンブル初の日本公演
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Musik ist Spiel!
遊び心を持って音楽する!
作曲科学生時代から、音楽のいろいろなスタイル、記譜法などで試行錯誤を続け、自分の作曲の道を見つけ出そうとしてきた。
ある時, ウィーン音楽大学の経験豊かな教授が "Musik ist ein Spiel!" と言われたことがある。 ドイツ語の"Spiel"という言葉には「演奏すること」という意味もあるが、それよりも一般的なのは、「遊び」という解釈であろう。彼はここでは、その2つの兼ね合った意味を一つの言葉で表現したかったのである。
音楽を勉強していると、いつの間にか学問的な角度から見ることに重点がいってしまい、本当の音楽の姿を見失いがちな中、この教授は音楽の大事な生命を思い出させてくれたような気がする。
ゲームに規則があって、それを守りながらそれぞれに楽しんで遊ぶ。音楽でも規則を学ぶことは大切だが、真の意味での音楽はその字が語るように音を楽しむこと。それは弾き手、聴き手、作曲家、誰でもが同じである。
この言葉が私の作曲をする姿勢に大きな展開をもたらした。
音楽の原点に戻って "Die Musik ist Spiel!" そしてそれが遊び心を持って音楽を創造することに繋がって行ったのである。
阿 部 京 子